執着と責任
前にもヨガをしていると、どんどん執着がなくなってくる
っていうコメントをどなたがブログでしてくれたと思う。
執着に直面するってこと。

確かにそう。

でも、執着と責任って、どこが
線引きなんだろうか?と思う今日この頃。

執着と責任の線引き。

なんだか、ここ最近、「どっちでもいいや」と思うことが多くて。
やることやったら、後は、なるようになるわさという
気持ちは、前から強いのだけど、なんちゅーか、うまくいえないが、
ゴールへの執着っていうのが、なくなってきてる。
目標っていうんだろうか?
「何でもエエやん」って思うことが多い。笑

私も昔は、「これじゃないと嫌」や「私は、こうですから。」とか
「私はこう決めましたから。」とか頑固なところがあったのだけど、
それって、自分のパターンへの執着であるって気づいた。
きっと、大多数の人が無意識で、決め付けているところが
あると思う。それって、きっと、それで自分自身を小さくしてる
というか、決め付けているというか、いつまでたっても、
枠から抜け出せないんじゃないかと。
その執着は、気をつけて自分を見つめてる。

反面、
「こうしよう!こう決めました」と宣言したことや
決めたことをやり通す、こと。
それも執着していることになるんだろうか?
それは、自分の言葉への「責任」ではないかと思うのです。
でも、その言葉に間違いがあったと思ったとき、
勇気を持って、止めること、それも大事なのではないかとも思う。

執着と責任。
この線引きが難しい。

しかも、この線引き、人によって違うから、これまた、難しい。笑
時に自分に都合よく、執着カードを出したり、
責任カードを出したり、くわばらくわばら。

私も執着と責任、二極の対立する感情にこだわるあたり、
まだまだ抱えてる、未熟ってことだろうな。むふ、未熟。

「捨てる」意識、もう一度見直そう。
部屋のスペースクリアリングがあるように、
ココロのスペースクリアリングって、大事だな。

b0069780_1723612.jpg

[PR]
by doyoga | 2006-05-24 17:11 | life
<< あれ!?フレーズ、パクられてる!?笑 足元固め >>